PEOPLE 01

仲間と繋がること。
そうすれば自然と学びが継続する

建築家・隈研吾 Kengo Kuma
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国立競技場や高輪ゲートウェイ駅をはじめ、国内外で多数の建築の設計に携わってきた建築家・隈研吾さん。今回は「インターネット」と「教育」の観点から、建築についてお話を伺いました。

PROFILE

隈 研吾
1954年生まれ。東京大学大学院建築学専攻修了。1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。東京大学教授を経て、現在、東京大学特別教授・名誉教授。1964年東京オリンピック時に見た丹下健三の代々木屋内競技場に衝撃を受け、幼少期より建築家を目指す。これまで20か国以上の国々で建築を設計。木材をはじめ、コンクリートや鉄に代わる新しい素材を使った温かみのある建築は、国内外から高く評価されている。主な受賞に、1997年「森舞台/登米町伝統芸能伝承館」で日本建築学会賞、2001年「石の美術館」で国際石の建築賞(イタリア)、2002年国際木の建築賞(フィンランド)など。近年では国立競技場の設計デザインに携わるなど、さらなる注目を集めている。

INTERVIEWER

有滝 貴広
有滝 貴広
早稲田大学理工学部卒業。インターネット・アカデミー マーケティング局室長代理。総務省が後援する「次世代Webブラウザのテキストレイアウトに関する検討会(縦書きWeb普及委員会)」の一員として国際標準化と技術の普及活動に尽力し、2020年度情報通信技術賞(総務大臣表彰)受賞。現在、総務省のBeyond 5G 新経営戦略センターの一員として参画。
Copywrite
Yuriho Izawa
Photo
Ayumi Kaminaga

MOVIE

STORY

インターネットの時代。
建築で勝負するには、世界で唯一のものを作ること

インターネットが広く普及し始める事実上のインターネット元年は1995年だと考えているのですが、隈さんが初めてインターネットを利用したのはいつ頃ですか。

1995年頃だと思いますね。建築ではコンピュテーショナルデザインといって、コンピューターを使ってデザインしたり、データをやり取りすることが一般的になりました。それで一気に設計の仕方が変わったんですね。だから建築にとっても1995年は特別な年だと考えています。

インターネットの出現は、建築界に影響を与えましたか。

すごく影響を与えましたね。インターネットによって、建築やデザインの世界が完全に一つになったように感じます。それまで日本の建築界もアメリカの建築界も、建築家はそれぞれの国で競争し、それぞれの国を相手にデザインを見せていたんです。要するに日本の建築家は日本の国を相手に商売していたし、日本人に見せるために建築を作っていました。
けれどもインターネットが出現すると、建築を見せる対象が広がり、世界中の人が一瞬にして僕の建築をシェアできるようになりました。日本の中だけで競争していては駄目で、世界で唯一のものを作らなきゃいけないという気持ちになりましたね。逆にそれさえ作れれば、あっという間に世界的なアーティストになれるという状況になりました。

1995年の阪神淡路大震災と2011年の東日本大震災は、隈さんの建築に強い影響を与えているとお聞きしました。2020年の新型コロナウイルス感染症の流行も、隈さんに強い影響を与えていますか。

そうですね、この3つの出来事は僕にとって1セットのように感じられます。どれも自然というものの怖さを教えてくれました。自然を敬わないと僕らが大変なことになるということ、人間がいかに弱いかということを教えてくれている気がしますね。
建築の世界にとってもすごく大きな影響がありました。以前は皆、建築はすごく強いものだし、自然を征服できるものだと話していましたが、この3つの出来事が、いかに自然が人間よりも強くて、建築なんて脆くて儚いものだということを教えてくれました。中でもこのコロナ禍が決定的だったように感じます。

世界各地でたくさんのプロジェクトを抱えていらっしゃる隈さんですが、海外に行きづらいコロナ禍ではどのようにディレクションされていますか。

これは本当にインターネットのおかげで、コロナでも世界中の仕事を継続できています。ミーティングだけでなく、現場チェックもリモートで行っています。現場でカメラを回してもらい、ライブで送られてくる映像を見ながら、「もうちょっと左に寄って見せてくれない?」という感じでやり取りし、どこまでできたか、どういう状態にあるか、僕らが選んだ状態がその場にフィットしているかなどを確認しています。
僕らは現場管理というのですが、それがリモートでできるようになって、僕が現場に行かなくても建物はどんどんできています。それはすごく不思議なことです。今までは僕が現場に行って、最後のチェックをして初めて建物ができるというやり方でしたが、行かなくても建物はちゃんとできているのです。ただできているというだけでなく、ちゃんとこちらの要望通りにできているということが本当に驚きでした。

IoTやAIなどの技術により
建築自身が一つの生き物のようになっていく

インターネット・アカデミーは、IoTやAIなど最先端技術の教育にも力を入れています。例えばIoTは、あらゆるものをインターネットに繋げることで遠隔操作・自動認識・自動判別などを行い、私たちの生活をより便利にし、さまざまな社会問題を解決すると期待されています。ITの発展はこれからの建築にどのような影響を与えていくとお考えでしょうか。

ITの発展によって、建築もものすごく姿を変えると思いますね。建築は物質でできていますが、実は中にいろんな回路や操作のシステムが入っています。例えば、照明をつけたり消したり、色や明るさを変えたりするためのものです。それはどちらかというと人間がマニュアルでやっていたので、操作のスイッチなどがいっぱい付いていて、建築を醜くしていたんです。
けれどもIoTやAIの活用が進んでいくと、人間が介在しなくても環境の方で自動的に人間に合わせてくれるということが起こると思うんですね。そうすると操作盤やスイッチのように邪魔な醜いものが建築の中からどんどん姿を消していって、建築自身が一つの生き物のようになってくる可能性もあると僕は思っています。

面白いですね。ではその一方で、建築における変わらない隈さんらしさとはどういうところにありますか。

建築における僕らしさは、物質感があるところだと思います。「マテリアリティ」と僕は言うのですが、例えば、そこにいると木の質感が感じられるとか、そこに行くと和紙の柔らかさが感じられるとか、そういう質感が感じられるような建築を僕は取り戻そうと思っています。
これはある意味でインターネットの革命の結果だと考えています。インターネットの革命によって、ビジュアルな情報は一気に世界中へ広がりますが、ビジュアルな情報や映像では感じられない、質感や匂いといったものの価値が逆にすごく上がってきました。ビジュアル以外の価値が復権したことで、時代が僕の建築を求めてくれたという気がしますね。

隈さんらしさの原点はどこから来ていますか。

原点は僕が生まれた家です。戦前に建った木造の家で、ほとんどの部屋が畳や土壁でできていて、そうした匂いに囲まれていたんです。それは僕が育った1960年代から1970年代の新しい家とは全然違う質感がありました。その質感のリアリティみたいなものが僕の原点で、それを取り戻すことが僕の日々やっていることです。

隈さんは小学校のときに国立代々木競技場を見て、強い衝撃を受け建築に興味を持ったとお聞きしました。もしそのときの自分が国立競技場を見たらどう感じるでしょうか。

そうですね、国立競技場は、あれだけ大きなスポーツ施設であれだけ木を使った建築は世界に例がないので、子どもが見たら大人が見る以上のショックを受けるんじゃないかと思うんです。そういう衝撃を受けた子どもが、建築家になりたいと思ってくれたら素敵だなと思っています。

建築における隈さんらしさをどのように後輩に伝えて、後継者を育成されていますか。

僕は実際に一個、小さくてもいいから建築を作ってみさせるんですよ。今までの建築教育の基本は図面の描き方を教えることだったのですが、実際に一個ものを作るというのはまったく違ういろいろなスキルを必要とするんですね。
実はそこではコンピューターのスキルもすごく必要で、一個のものがどうできるか、コンピューターを使っていろいろシミュレーションしながら作ります。コンピューターのスキルと、実際に手でものを作るスキルが一緒に繋がらないと、ものはできないんですよね。その繋がる感覚を学生に教えるには、実際にものを作らせるのが一番早いと思っています。

繋がることで人間は正しくもなるし、
充実感も味わえる

教え子や下の世代から刺激を受けることはありますか。

実際にものを作らせるとき、ある意味で僕も一緒に作るわけですが、僕自身もどうやっていいかわからないことがあります。そこで、皆で一緒に考えるということを必ずやるんです。そうすると僕が思ってもいないような回答が出てきます。それは一方通行の教育では味わえないものです。皆で作るから、そういう体験が味わえるんですね。

社会人になって学びを続ける人もいれば、やめてしまう人もいます。しかしこれからの社会では生涯学習が大切になってくると思います。学び続けるために必要なものは何だと思いますか。

僕自身もいまだに学び続けているつもりですが、そのために必要なのは、いい仲間を持つことではないかと思います。仲間がいるといろんな競争も生まれて、「あいつがこんなにやっているんだったら、俺ももうちょっとやってやろう!」というふうに、いい仲間ができると自動的に学びが継続していく気がしますね。

インターネット・アカデミーには、自動車、電機、会計などさまざまな業界の方々が学びに来ていますが、建築界からの受講生は少ない印象を受けます。そこには何か理由があるのでしょうか。

建築でコンピューターというと、いまだにCADなど図面を描くときに使うものだと皆が思い込んできて、非常に狭いスキルのことしか扱われていないんです。これはすごく残念なことだと思っています。建築の人間もインターネットを学ぶと、世界が広がって建築の考え方も自由になっていきます。それを建築の若い人たちに伝えたいですね。

隈さんは世界を股にかけて活躍する中で、人と人との繋がりを大事にされていると感じます。繋がりができやすい人とできにくい人というのはいるのでしょうか。

繋がりができにくいと思っている人も、ちょっとしたことで変わると思いますね。僕自身、そんなに人と繋がるとか付き合うのが上手だったとは全然思わなくて、どちらかというと建築オタク的な感じでずっとやってきました。でもあるときから、人と繋がるコツみたいなものを覚えていきました。人間はちょっとしたことで変わるし、最初からそんなに繋がるのが上手い人はいないと思います。

インターネット・アカデミーは、人々を繋げ、誰でも平等に学ぶ機会が得られる社会を作ろうと思っています。それが情報格差をなくし、貧困をなくすことに繋がると信じています。隈さんも建築によって人々を繋げることを目指されていると受け止めていますが、なぜ人々を繋げることが大切だとお考えですか。

僕はやっぱり、人間って基本的にすごく弱いものだと思うんです。でも繋がることで、人間は正しくもなるし、自分の充実感みたいなものも初めて味わえます。ですから、人間の弱さを自覚したら繋がらずにはいられないと思いますね。

最後に、これからクリエイティブ業界を目指して、建築を含めてデザインを学ぶ方に向けて、応援のメッセージをいただけますか。

これからデザインやクリエイティブに向かう人は、実際に手を使うことと、コンピューターを使うこと、その両方を繋ぐことが必要になります。片方だけというのはすごく寂しい。そのことを、これからデザインを学ぶすべての人に伝えたいですね。