PEOPLE 02

積極的に関わるほど、
物事は楽しくなる

台湾IT担当大臣
オードリー・タン
Audrey Tang
  • #Technology
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今回は、「インターネット」と「教育」という観点から、台湾のIT担当大臣、オードリー・タン氏にインタビューを行いました。

PROFILE

オードリー・タン
オードリー・タン大臣は、2016年に行政院(日本でいう内閣)に入り、通称「デジタル大臣」と呼ばれ、台湾のガバナンスとテクノロジーの革新を牽引している。タン大臣が率いる革新的なデジタル戦略は、ロックダウン(都市封鎖)を回避し、台湾のコロナウィルス対策を成功へと導いた。タン大臣は、行政院に入る以前は、Appleをはじめとする多くのテクノロジー企業のコンサルタントとして活躍。さらに、世界有数のオープンソースソフトウェアのシビックハッカー(社会問題の解決に取り組む民間のエンジニア)としてオープンガバナンス(開かれた政府)を目指し活動する「g0v(gov-zero)」という活動にも積極的に参加している。

INTERVIEWER

有滝 貴広
有滝 貴広
早稲田大学理工学部卒業。インターネット・アカデミー マーケティング局室長代理。総務省が後援する「次世代Webブラウザのテキストレイアウトに関する検討会(縦書きWeb普及委員会)」の一員として国際標準化と技術の普及活動に尽力し、2020年度情報通信技術賞(総務大臣表彰)受賞。現在、総務省のBeyond 5G 新経営戦略センターの一員として参画。
Copywrite
Takahiro Aritaki
Photo
Picture 1, Picture 2
Audrey Tang, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

MOVIE

STORY

技術者だけの自由を追求するのではなくすべての人の自由のために

こんにちは、オードリー・タン大臣。私はインターネット・アカデミーの有滝です。本日はタン大臣にインタビューできることを嬉しく思います。質問を始めていいでしょうか?

はい、もちろんです。

ありがとうございます。オードリー・タン大臣が初めてインターネットを使ったのは1993年の12歳の頃だと伺いました。初めてインターネットに触れた時はどう思いましたか?

インターネットを使う前は、私はパソコン通信のDell RBBSを使った掲示板システムなどに参加していました。しかし当時は、パソコン通信の最大の掲示板サイトでさえ、おそらく10から50本程度の電話回線しか持っていなかったのでしょう。ダイヤルしても繋がらないことがありました。そういうこともあって、Dell RBBSに繋がった時はいつも嬉しかったですね。しかしインターネットはダイヤル接続に決して失敗しませんでした。1度だけダイヤルアップ音を聴けばよかったのです。そして一度接続されると、インターネット上の異なる掲示板に接続することができましたし、その間切断することもありませんでした。それは、とても便利なことで、それと同時に自由な感じを覚えました。とても開放的な気分でした。

私たちは、インターネット・アカデミーの創業年であり、インターネットが広く普及し始めた年でもある1995年が事実上のインターネット元年だと考えています。台湾では1995年のインターネット利用状況はどのようなものでしたか?

どうだったでしょうか。私は1995年を、インターネット元年というよりWeb元年と捉えています。お話いただいた通り、私は1993年にはインターネットを使っていましたし、インターネット自体ももっと前からありましたからね。私はWebが本当に特別なものだと考えています。なぜなら私と呼ばれていた人が(パソコン通信の)掲示板を使っていた頃は、サイト運営者、つまりシステムオペレーターまたはシスオペと呼ばれていた人が、コンテンツだけでなく交流の仕方にまでも絶対的な力を持っているように感じていたからです。一方、常に接続できるインターネットも、全ての情報、全てのデータ、そしてその構成がとても集約的で、コンテンツと交流の仕方がシステムオペレーターによってコントロールされています。
しかしWebではそのようなことはありません。例えばハイパーリンクを張るというのは、基本的に「これは私がコントロールできることではないんだけれど、とにかく読んでほしい」という意味です。この仕組みがジャンルを超えた相互理解を促進させているのです。Web以前は、ある掲示板から別の掲示板へ遷移させたいなら、その掲示板の同意なしにはできませんでした。同意を得てもたくさんのコーディング作業を必要としました。しかし、ハイパーリンクやその他Web技術を使えば、知識がいわゆる「インターテキスチュアル・ナレッジ」と呼ばれるものになります。それが全ての人をより幸せにしたと思います。人々はWebが自分たちの居場所だとわかったからだと思います。誰でもWeb管理者になれます。Web管理者になるためにコーディングスキルは必要なく、少しのHTMLを学ぶだけいいのです。それらは掲示板システム全体をゼロから構築するのに比べれば、遥かに容易です。とにかく全く違うのです。誰もがコンテンツのクリエイターとなり、それをWeb上で共有できるのです。その自由は技術者だけのものではなく、文章を書く人のものでもあり、もちろん、音声や動画の変換技術によってレコーダーやカメラを持つ人にまで自由が広がりました。そして、ほとんどの人達に広がりました。

タン大臣は15歳から国境を越えたインターネット世界のためのルール作りに参加されています。例えばインターネット技術標準を策定するIETFでのインターネット上の規制作りや、Web技術標準化を行うW3Cでの通信ルールの取り決めなどです。なぜそれらの活動に参加しようと思ったのでしょうか?

それは面白いからです。それ以外の答えはありません。例えば、私はAtomの標準開発に参加しました。Atomとは、RSSつまりReally Simple Syndicationの後継の一つです。その頃、私はブログを持っていて、多くの友人もブログを持っていて、その時系列表示を作りたいと考えていましたが、時系列には、書式や時間などに様々な表示の方法があることに気づきました。標準が必要なのは明らかでした。それが理由で私はその作業に参加しました。なぜなら、ブログやWikiなどは出版する人や専門的な文献を読む人のためだけのものではなく、人々がお互いに交流するための社会組織である、いわゆる「ブロゴスフィア」になり得ると、私は信じているからです。一度により多くの人と交流できると、より楽しそうですよね。もちろん今になって振り返ると、人を多くすることが必ずしもより良いことではありません。しかし当時は、私たちはより多くの人々を繋げたかったのです。技術的な能力に左右されることなく、Unicodeや絵文字をルール化して、民族や文化や言語などを超えて繋げたかったのです。私が関わったその当時は、インターネットは全ての人にとってより楽しいものだったと思います。

タン大臣は33歳でビジネスから引退され、デジタル顧問としてアップル社のSiriの開発を担当されました。具体的には、Siriに上海語を話させるプロジェクトの責任者です。また、MacやiPhoneに内蔵されている繁体字中国語辞書をアップル社のシステムに統合されました。「システムに多言語を取り込む作業の支援が、ご自身の現在の仕事にも直接的・間接的に繋がっている」と著書で拝見しました。具体的にどういう点が今の仕事に繋がっていると思いますか?

まず訂正させていただくと、私は両者に貢献しましたが、プロジェクトマネージャーだったわけではありません。ですから正確には私はそのプロジェクトの責任者ではありません。貢献はしましたが。

インターネットがあれば、
情熱を持っている人が他の同志とつながる

2020年にはデジタル担当大臣としてマスクマップ等のアプリを提供し、台湾の新型コロナウイルスの抑え込みに成功しています。タン大臣は著書で「政府と人々の間に信頼関係があったから実現できた」と述べています。その信頼関係は具体的にどれほどの期間をかけ、どのように築いてきたのでしょうか?そのプロセスは民間企業や他の国にも適用できるでしょうか?

私が言語技術の研修をしていた時の言語アプローチでもある、比較文化的アプローチがとても重要だと思います。台湾には約20の方言があり、各言語が共通の歴史に対する全く異なる視野や見解を持っています。どれか1つを推して他を置き去りにするのではなく、それぞれの言語が正確に表現されていると市民が感じられるようにする必要があります。それは言語の保全のためだけではなく、他の文化圏の人々が自分たちの言語や文化を学ぶことを容易にするためでもあります。そして、聴くという姿勢がとても重要です。聴くというのは、「相手によって揺さぶられ変化する」という意思表示なのです。少しばかり思い上がりを捨てることも必要ですよね。全てを知ることができないならば、例えば人々があなたに彼らの観点からは「そうあるべきではない物事」と指摘したとしたら、私はいつもこう尋ねます。「では、もしあなたがデジタル担当大臣だったらどうしますか?」皆の関心事は皆の助けで、という考え方からです。そして人々の貢献がとても迅速に、通常数日で統合されれば、貢献することがより楽しみになります。つまり私が言いたいのは主に2点です。1つは謙虚さ。私達が全ての解決策を持っていると思い込まないこと。もう1つは説明責任。人々が私たちに「誤りを犯した」と指摘した時は、なぜ私達は物事をどのように解釈し、どう誤り、そしてどう変更するかを説明するべきです。そしてその変更を実行するのです。

公衆衛生の観点から、一部の人が高度な科学知識を持つより、大多数の人が基本知識を持つ方が重要である、とタン大臣がお考えであると著書から読み取りました。この考えは公衆衛生以外の分野にも当てはまりますか?また、大多数の人が基本知識を持つためにどのような対策が必要でしょうか?

私は、人々が基本的な知識を得るきっかけがあれば、その知識に関心をもつ人が出てくると思います。そしてその知的好奇心の高い人々はより多くの知識を得ようとするでしょう。しかしそれと同時に、知識を深めていくことに関心を持たない人たちの存在を忘れてはいけません。知的好奇心の高い人々は、少しずつ知識を蓄積していきますが、得た知識を、関心度が低い人たちにも共有していくコミュニケーションが必要になります。その動きが進んでいけば、各ジャンルで理想のキャリアを追い求める人や、特定の分野で貢献する人が出てくるでしょう。自身が持っている知識を誰にでも共有できることもスキルの一つです。最初のステップで、人々とどう会話すればよいかを正確に把握し、次のステップで他者からどうやって、より多くの情報を引き出せるかを洞察しながら知識を得るのです。
これら2つの手順をつかんでしまえば、知識を少しでも増やしたいと思っている人は、どこを見て、誰に聞けばよいのかということを正確に分かっているため、特定の分野において社会的な理解を得ることができます。その一方で、一部のエリートだけが豊富な知識を持ち、他の人がほぼ知識を持ち合わせていない場合、その間のギャップはとても大きいことは明らかでしょう。この知識量の差をなくす方法はありません。これはどの分野にも当てはまることだと思います。知識量の差によって生じる不信感は、日常生活に影響を及ぼします。機械と機械、数字と数字を結び付ける情報技術の分野でも、人と人を結び付けるデジタル化の分野でも同じことが言えますよね。それらは、全てデジタル化であり、全ての人に当てはまります。自然科学、社会科学においても、この知識は重要だと言えます。

私たちは、人々がインターネットで繋がり、誰もが平等に学ぶ機会を得られる社会を作ろうとしています。それがデジタル格差解消や貧困解消に繋がると信じています。一方で、著書を読み、タン大臣も「全ての人を包含し繋げる」ことを目指していると知りました。タン大臣は、なぜ人を繋ぐことが重要だと考えますか?その原点はどこでしょうか?

私が中学を退学したとき、自分が関心をもっていたテーマを研究する学者たちと連絡をとることのできる唯一の方法がインターネットでした。研究者たちは、世界各地にいたため、私と研究者たちを結び付ける方法は、インターネットしかありませんでした。私が一緒に仕事をしている研究者たちは世界中にある20以上の都市に住んでいます。25歳になってからは、飛行機で世界各地の研究者に直接会いに行くことができますが、当時、14歳の私がそんなことができるはずありませんでした。私にとって、インターネットは、自分の同志を自分で選ぶことができるものなのです。私たちは、同じ価値観を持ち、同じ世界観を共有できれば、孤独だとは感じません。インターネットがあれば、何かに情熱を持っている人が、同じような情熱をもった人と繋がることができます。このように人と人が繋がることで、一人で物事を進めなければならないという負担から解放され、むしろみんなでその物事を取り組んでいくことができるようになります。だから私は、良き同志が近くにいるということも自己成長において非常に重要なことだと考えています。インターネットがあることで、私たちはより多くの人々の中から同志を選ぶことができるのです。

著書で、科学技術で解決できない問題に対処するためには、美意識を養い、文学的素養を身につけることが重要である、とありました。これからエンジニアを目指す人が美意識を養うために、まず何をすればいいですか?また、どうやって文学的素養を身につけるべきでしょうか?

ここで重要なことの一つは、リテラシーの問題ではないということです。他の人の作品を評価するという問題ではありません。それよりも、新しい作品を生み出すための能力が必要です。詳しくはわかりませんが、リテラシーというのは、一般的に、小説や詩を読んだり、映画を見る必要があると考えられているかもしれません。しかしエンジニアとして活躍している人々は新しい作品の双方向的な創作により魅力を感じると思います。例えば、ビデオゲーム制作です。私が知っている多くのエンジニアは、ゲーム作りを楽しんでいる人や既存のゲームを改造して別の設定を組みこんでいる人もいます。これも芸術的表現の一つであり、創造なのです。つまり、自分が最初に何かを考えたり、感じたときに、その気持ちをゲーム内に表現します。そして同じような表現をしている人たちを評価していきます。その後、エンジニアたちはお互いのゲームをプレイしたり、一緒にチームを組み、ゲーム制作をするかもしれません。そういう意味では、WikipediaやOpenStreetMap、そしてGithubでさえも、ある種の創造性の遊び場といえると思います。これらのツールは、自分が面白いと思ったり、美しいと思ったことが何かを確かめたり、何か感じたことなど自分の気持ちをオープンに他の人と共有することができます。私はこの仕組みがとても重要だと感じています。例えば、Github内でコメントをする際、絵文字でリアクションする機能があります。自分の気持ちを伝えやすいので、私はあの機能をとても気に入っています。また人々は、GIFアニメーションやMIMEなどを多用していますよね。私にとっては、これらも機械工学的な時間の概念から私たちを解き放ってくれるような表現であると思います。

生まれたときからインターネットがある「デジタルネイティブ世代」に対し、生まれたときにはインターネットがなく、その後の人生でインターネットに出会った「デジタル移民」がいます。さらに日本などの高齢化社会ではインターネットを使ったことがない人も多いでしょう。「デジタル移民」や「インターネットを使ったことがない人」は、社会で活躍するためにどのようなリテラシーを獲得すべきでしょうか?

今は人々がインターネットを接続するために環境を整えていますが、私はインターネットそのものが人々の集まる場所に移動していくべきだと考えています。台湾では、どんなに田舎でも、どんなに離れた場所でも、すべての薬局や診療所などをブロードバンド接続できます。高齢者の方を例に挙げると、インターネットを使うためにわざわざ中心地に行く必要はないですし、オンライン診療を受診することもできます。オンライン診療は、信頼できる地元の診療所や看護師、介護施設などが実施していますが、高齢者の方々は、まさか自分たちがインターネットを使って診療を受けているとは考えないでしょう。隣の街にいる友人と会話をすることは、お互いの顔が見える電話のようなものだと考えているでしょう。インターネットを通じたコミュニケーションは、パンデミックの時に、多くの人々が人と人との温かいつながりを感じたいという想いから、加速したと感じています。つながりを感じ、お互いに支えあう温かさを感じるために、必要としていることだと思います。これはとても重要なことです。インターネットはそのために発展してきたといっても過言ではありません。当初の設計では、核戦争が勃発した際、人々が避難しなければならない状況になっても、コミュニケーションができる環境を維持し、孤立してしまった人々との通信を途絶えさせないようにしていました。そのために作られたのが、インターネットですから。もちろん、コロナ禍でも、その役割を果たしています。そして多くの人が、デジタル移民かネイティブかに関わらず、インターネットは、ビデオ通話を利用した対面型のコミュニケーションがベースとなって、今後の社会を支えるインフラとして維持されるだと考えています。私自身もデジタル移民の一人です。自分が安心して任せられると思う身近な人というのは、周りの人に良い影響を与えてくれて、新しい方法で技術の使い方を紹介してくれるような人です。そのことを念頭に入れておきましょう。

学ぶことは文化を継承するようなこと

タン大臣は「これからは生涯学習能力が重要になると確信している」と述べています。しかし実際は、社会人になっても学び続ける人もいれば、止めてしまう人もいます。学び続けるためには何が必要だと思いますか?何らかの制度はありますか?

人々はみな学ぶのだと私は思っています。例えば、多くの地域で、マスクをつけて生活するという習慣が以前はありませんでした。しかし、1年ほどで、誰もがマスクをつけるということを学びました。これは、人々が学ぶことをやめたのではなく、学びの重要性を感じていなかったことの証明であると私は思います。1年ほど経ち、多くの地域で、それまでマスクをつけたことのなかった人々でさえ、マスクは汚れている手から自分の顔を守るためのものであることを理解するようになりました。そのメッセージは、世界中に広がり、人々はそれを学んだのです。大きな違いといえば、文脈だと思います。周りの人から何か学ぼうとするとき、当然、その周りの人々とコミュニケーションを取り、文脈を読み取り、学んでいこうとするでしょう。正しいマスクの使い方はその良い例です。生涯学習の文化が当たり前になってくると、「70歳で大学の学位取得を目指しています」という人や「80歳でHTMLやJavaScriptを学んでいます」という人が出てくることがとても自然になると思います。また、マスクの付け方を学ぶように、誰もが学んでいることを共有する文化があれば、どんなに高齢になったとしても、学び続けることが容易になると思います。

グローバル競争で生き残るために日本企業はどのような考えや努力が必要でしょうか?特にタン大臣にご助言いただきたいのは、日本企業のIT活用方法や研修制度の点です。

会社そのものは何も考えたりしませんよ。会社はハッシュタグのようなものでただのフィクションです。しかし、会社の人々はというと、「はい、その通り」と考えるかもしれません。スマートな市民がスマートシティをつくるため、スマートな市民なしにスマートシティを創造できないとよく言われます。会社で働く人々にとっての最も重要なことの1つは、会社の経営を継続させるために必須だけれども、あまり人が好まないような雑用や必然的な仕事が今や自動化される可能性があることを認識するということです。
AIのような最新技術は、仕事の特定の部分をインプットし、アウトプットする種類を明確にすれば、多額の設備投資を行うことなく、人々の関心が薄い仕事を自動化することができます。そうすれば、より多くの時間と心の余裕をもつことができ、仕事を楽しむことができるでしょう。さらに仕事が楽しめるようになれば、社員はもちろん、会社に関わる全てのステークホルダーや顧客などにより驚くような価値を生み出すことができるのです。ですから、職場環境をよくするために自分の意見を他の社員にも共有し、学習サークルのような職場をつくり、お互いに助け合って、雑務を減らし、より楽しく仕事ができるようにするのが大切です。私はこれが一番重要だと思っています。そして、AIやIoTといったコンピュータサイエンスの中には、人々が望まない仕事や作業を減らすために特別に設計された技術が多くあるのです。

タン大臣にとって何がITを学ぶ楽しさや喜びでしょうか。タン大臣はインターネット登場時から様々なIT関連プロジェクトに参加されていますので。

楽しいと感じるのは、私が何かをシェアした際に、他の人がそれを見て、アレンジして、私が想像していなかった作品になるときですね。それが一番面白いです。なぜなら、私自身が思いつかなかったことを学べますし、彼らは私の考えなしには、作れなかったと思うからです。これは文化継承の一つだと思います。日本人ヒップホップバンド「DosMonos」が私のインタビューをサンプリングした曲を聞いたときも同じ喜びを感じました。もちろん、インタビューは音楽制作が目的ではありませんが、彼らはクリエイティブ・コモンズ・ライセンスを使うのです。つまり、私が著作権の大半を放棄することで、私の許可なしで曲が制作できるのです。関係者への許可なしに創作できるのは、インターネット文化の最大の魅力だと思います。それ以前は、不可能でした。しかし、インターネットの登場以来、私たちは身元もわからない誰かの作品を基にした制作物が増え続けています。その創造物の中から、新しいクリエイターに出会い、その新しい人と人との出会いから私たちは、新しい作品を知ります。そしてその出会いをきっかけに、協力して新たな作品が生み出されていくのです。この共有する楽しさや喜びの機会は、自ら動いて増やしていくようなものなので、参加すればするほど、楽しさが増していくのです。

インターネット・アカデミーは1995年からインターネット専門スクールとしてIT教育を提供してきました。受講生の方やこれからITを学ぶ方に向けてメッセージをお願いします。

私がよく話すのは、ITは機械と機械をつなげ、デジタル化は人と人とをつなげるということです。その考えに基づくメッセージを伝えます。それは、「モノのインターネット」を見たら「人のインターネット」に変えよう。「仮想現実」を見たら、「共有現実」に変えよう。「機械学習」を見たら、「協力学習」に変えよう。「ユーザー経験」を見たら、「人の経験」に変えよう。そして「シンギュラリティ(人工知能が人類の知能を超える特異点)」は近いと聞いたら、「プル―ラリティ(多元性)」はここにあるといつも思い出してください。

私達のためにお時間と素敵なメッセージを頂き大変感謝しています。本当にありがとうございます。