PEOPLE 03

一人ひとりがインターネットの未来をつくる参加者に

インターネットの育ての親・村井純 Jun Murai
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日本初のネットワーク間接続や「WIDEプロジェクト」を設立し、インターネットの礎を築いてきた村井純教授。今回は、「インターネットの歴史」と「教育」というテーマでお話を伺いました。

PROFILE

村井純
1955年生まれ。工学博士。慶應義塾大学教授、慶應義塾大学サイバー文明研究センター共同センター長。1984年日本初のネットワーク間接続「JUNET」を設立。1988年インターネット研究コンソーシアムWIDEプロジェクトを発足させ、インターネット網の整備、普及を行う。内閣官房参与、デジタル庁顧問、他各省庁委員会主査等を多数務め、国際学会等でも活動。2013年「インターネットの殿堂(パイオニア部門)」入りを果たし、2019年フランス共和国レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章。「日本のインターネットの父」と称される。

INTERVIEWER

有滝 貴広
有滝 貴広
早稲田大学理工学部卒業。インターネット・アカデミー マーケティング局室長代理。総務省が後援する「次世代Webブラウザのテキストレイアウトに関する検討会(縦書きWeb普及委員会)」の一員として国際標準化と技術の普及活動に尽力し、2020年度情報通信技術賞(総務大臣表彰)受賞。現在、総務省のBeyond 5G 新経営戦略センターの一員として参画。
Copywrite
Takahiro Aritaki
Photo
Ayumi Kaminaga

MOVIE

STORY

インターネットは人間のために何ができるのか
テクノロジーのあるべき姿

村井教授がはじめてインターネットの構想を思い描いたのはいつ頃のことでしょうか?そのとき、どのような思いでしたか?

大学の学部時代にコンピュータを学び始めたときですね。そのときの大型コンピュータの使い方が気に入らなかったんです。コンピュータが真ん中にあって、人間がその周りで「計算してね」とお願いしているようなスタイルだったんです。やはりコンピュータは道具ですから、人間が真ん中にいて、コンピュータが周りにいて、人間のことを支えていくのが、道具としてのテクノロジーのあるべき姿だと私は考えていました。コンピュータを勉強するということが、人間がコンピュータに傅(かしず)いているように見えて、「これでは使い方が逆だろう」と思っていました。当時は、コンピュータ1台にそれぞれの人間が行くしかなかったんです。つまり、コンピュータがバラバラに人間を支えるなら、コンピュータ一つひとつが繋がっていないといけないですよね。だからコンピュータネットワークという発想になったんです。人間のためにコンピュータは何ができるのか、やはりそういうテクノロジーとしての期待がある、それが原点ですね。

育ての親ともいえる村井教授から見て、ご自身の子どもとしてのインターネットは、現在どのような姿に見えますか?インターネットは色に例えると何色でしょうか?その理由は何でしょうか?

そうですね、私たちはよくブルーの色を使います。地球全体を覆っているのがインターネットだとすると、やはり青い海や青い空といったイメージがあるからです。

インターネットの最大の特徴は、地球上のコンピュータを全部つなぐということです。ただ、これは意外と国が全部調節しているとできないことなんです。我々のように作っていく人間が、アカデミズムや教育などの目的で、何のバイアスも受けず、子供たちの教育をするとか、研究を進めるということは、グローバルに人類全体の共通の目的であると思います。そのためにコンピュータをつないでいくんだと、夢中になっていましたね。そういう意味では、育ってきたインターネットは、地球全体に満遍なく行き渡ったと、そろそろそのように表現してもいいと思います。インターネットですべての人をつなぐとか、地球をつなぐとか、そのあたりのゴール感がようやく見えてきたので、よく頑張ったなと思いますし、楽観的に捉えてもいます。

今のインターネットの思想設計は、コンピュータであるUNIXの思想を受け継ぎ、拡大したものであると村井教授の本から学ばせていただきました。「計算する」ではなく「人を助ける」という思想のことです。具体的にはどのような形でその思想がインターネットに受け継がれたのでしょうか?

受け継がれたというよりも、UNIXのオペレーティングシステムの考え方は、インターネットそのものだと思います。コンピュータ、ハードウェアがあって、その上に基盤のソフトウェア、オペレーティングシステム(OS)がある。そして、ハードウェアの上にソフトウェアを作ることができ、汎用のコンピュータはそのように作ることができます。ビフォーUNIX、つまりUNIX以前のコンピュータは、ハードウェアを作った人がハードウェアの能力を最大に引き出すために、オペレーティングシステムを作っていました。ところが、UNIXは全く逆の発想で、人間がコンピュータをどう使うかという観点から、OSはこうあるべきだと提示したうえで、そのOSがどのハードウェアの上でも使用できるようにしていました。いわば、インターオペラアビリティ、相互運用性を考えているんです。つまり、足もとのハードウェアの違いを吸収しながら、人間がコンピュータを使って何をするのかを考えて設計されたオペレーティングシステムなんですよ。したがって、足もとがバラバラでも同じ使い方ができるんですね。

今のインターネットを見てください。ブラウザを通じて、全然別のコンピュータでも、スマホでも、PCでも、テレビでも、サイネージでも、やはり同じ環境で使えるじゃないですか。だから人間から見て、社会から見て、こうあるべきだという思想から、いろんなハードウェアを全部使っていくんです。そもそも通信をみてください。無線であっても、有線であっても、光ファイバーであっても、衛星であっても、動きますよね。「足まわりは何でもいいけれど、人と環境に合わせた設計を作ろうよ」と考えられていますよね。この発想はまさにUNIXです。基本、インターネットはそのようにできています。インターネットである限り、足まわりは全部違うんですね。5Gのインターネットを使ってる人もいれば、光ファイバーでつなげているところもあれば、衛星で飛んでいっているところもあれば、海底ケーブルを使ってるところもある。しかし我々は、インターネットのつながり方を気にしてはいません。この発想、設計思想こそがUNIXなんですよ。だからやはり非常に大事な原点だと思います。

村井教授は英語中心だった初期のインターネットを多言語対応へと導きました。また、2019年には日本の文化である縦書きをWeb上で表現できるよう、国際的な標準化につなげてくださいました。しかし、どちらの例も「少数派だから使わなくても良いのでは?」という意見もあったと思います。そのような、判断や行動が迫られる場合に、村井教授が大切にされている考えや軸はどのようなものでしょうか?

おっしゃる通り、使う人がいなければ、標準化にしなくていいんじゃないかという議論は常にあります。しかし、「人間社会の基盤をコンピュータで作っていこう」といったときに、その多様性を尊重するのは、非常に大事なことなんです。例えばWebだと、言語の多様性がありますし、表現の多様性もあります。ビデオのストリーミングでも、非常に良い環境で視聴できるときは、綺麗な映像を見ることができますよね。しかし視聴できない環境にあるからといって何も見えないということでは困るだろうと思います。

様々な人の多様性、ダイバーシティ、インクルージョンといった概念は、今、社会全体に広がってきていますが、早くから使われていたコンピュータのインターフェースには、その点において問題がありました。最初のコンピュータは「全部英語で作ればいいや」という考えがあったんです。実際、コマンドやプログラミング言語の記述の基本は、全部英語です。しかし、それらを多言語化していくことを考えると、いろいろな意味が出てくるんです。特に日本が、この役割を担うことに意味があるんですよ。インターネットやコンピュータのユーザー数を考えると、非英語圏で最もユーザーが多いのは大体、日本です。だから日本が努力をすれば、世界がそれについてくる。そうすると、世界全体が恩恵を受ける。そのためには標準化が大事なんです。つまり、我々は日本語のために努力しますが、それはすなわち多言語のために使えるように標準化を決めることでもあるんです。これをやっておけば、どんな少数民族が少数の言語を使おうと思っても、同じ方法、同じ基盤が活かせる。だから、日本のためだけではないんです。言語に関してはそれで良かったと思います。

しかし、問題は縦書きですよね。縦書きは、左から右に書くという文字を出す方向性が、世界の言語の中でマジョリティーなわけです。それでも、縦書きは多分、なくなることはない文化だと思うんです。だから、これをデジタル化されたときもしっかりと用意しようと思いました。さらにアラビア語は、右から左ですからね。つまり、ある文章があったときに文字の方向性の概念を表示の中に入れることは、やはりいろいろな人の役に立つんですね。英語でも、縦書きすることがあるんですよ。何か狭いところにネオンサインのような表示を、英語で縦に流していくこともあるでしょう。そういうときに、どういうお作法で流した方が見やすいのか。縦書きや横書きには、それぞれ普遍的な魅力があると思います。ただ、そんなところに努力するのは日本人ぐらいしかいないだろうし、そういう観点から我々はアプローチをしています。我々がやったら、そこで恩恵を受ける人は世界中で必ず出てくると思います。まだ他の人が目をつけていなくて、自分たちだけが気がついてやることができるのは、楽しいですよね。非常にモチベートされているところを自分たちで解いていけて、それを他でも喜んでくれる人がいて、人の役に立つことができれば、つくる者にとっては喜びですよね。

日本人はインターネットを「善用する名人」
世界にどう貢献していくのか

いかなる困難をも乗り越え、地球中をインターネットでつなげてきた村井教授には、底知れぬ信念やパワーを感じます。その信念やパワーはどこから来ていますか?子供のころに、何か起因する原風景があったのではないでしょうか?

好きなこと、やろうと思ったことを諦めない、というところがあったように思いますね。そういう意味で、子供の頃からよく怒られていました。何かをやりはじめると、ずっと夢中になってやっているので、親から「もういい加減にしなさい」という怒られ方をよくされていました。親からすれば、例えば、受験があるし学校からはみ出ては困るし、特定のことだけやっていたら他のことができなくなるから心配になるんですよね。だから、私があっちこっち行こうとすると「もうほどほどにしておきなさい」と言うのです。それは、多分一般的な親のリアクションだと思うんですよね。そういう意味で、私は、親にとても苦労をかけましたね。ただ、やはりこういうことをやりたいと思ったときには、それをとことんやることが、喜びや嬉しさ、やりたいという原動力につながっていたのだと思います。

インターネットの一番大きな意義は人間がつながったことだと、村井教授の本から学ばせていただきました。例えば日本の場合、阪神淡路大震災や東日本大震災などの災害時に、安否確認はもちろん、災害後の復興の手段としてインターネットが欠かせないものだと意識されるようになりました。それはインターネットで人々が1つにつながったからだと思います。
一方、インターネットの一番の悲劇は、分断されることではないかと私は考えています。もしそうだとしたら、分断されないために、私たち人間一人ひとりが考えるべきことは何でしょうか?

インターネット、あるいはインターネット上のアプリケーションで、人が全部つながり、自由なコミュニケーションをするための基盤ができていると思うんですよね。それは、人をつなぐという意味で、様々な良いことがあります。

例えば、現在、ソーシャルネットワークにいたるまで、いろいろな出会いや結びつき、意見の交換、共有あるいはエンターテイメントを通じた楽しみの共有が大規模に、自由にできるようになっています。人と人をつなぐ大変良い基盤ができたことで、コミュニケーションのクオリティも上がっています。昔であれば文字に書いて共有していた内容を、今ではビデオで共有するといったソーシャルネットワークもあります。これからはさらに、3次元やメタバースになる可能性もあります。だから、コミュニケーションの形がいろいろ移ろいながら発展しながら、人間のコミュニケーションがどこにいても、誰とでもしやすくなるという良ことがあります。

しかしその一方で、このようなコミュニケーションが発展をしていくと、技術を上手く利用せず、悪用してしまうユーザー、Abuser(アブユーザー)がでてきます。どんなに良い道具を作ったとしても、必ずアブユーザーはいるんですね。アブユーザーの反対はProper user(プロパーユーザー)、つまり技術を適切に利用するユーザーです。適切な使い方と適切ではない使い方、これは、どんな道具でも両方必ずあります。したがって、インターネットにもアブユーザーが出てきます。abuse(アビューズ)と辞書で引くと、濫用、悪用と書いてあるんです。「濫用」の反対は「適用」、つまり適切に使うこと。そして「悪用」の反対は「善用」ですね、善のために使うことです。

私たちの中で、インターネットが広まるタイミングのきっかけになったのは、1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災、そしてそこから続く災害だと思います。今グローバルで起こっている、パンデミックもそうです。こういう緊急時に、インターネットの力を思い知って、発展するという歴史を繰り返しています。日本は地震大国ですから、それらの経験を蓄積しています。その時私たちは、「人の命を救おう」や「コミュニティとして助け合おう」という想いから、だんだん上手に、インターネットを使えるようになっていると思います。つまり、善用の名人が日本人であると私は思います。悪と善、あるいは濫用と適用、その両方の側面が存在することは仕方がないことです。しかし、そこで大事なことは、悪用を止めて、減らして、善用を増やすこと。それから、濫用をほどほどにして適用を進めること。このようなバランスを社会全体で、我々が考えていかなければいけません。

先ほど、日本のコミュニティは「善用の名人」だと申し上げました。英語ではEthical use、「倫理的な利用」がインターネット利用の課題だとよく言われますが、それがきちんとできているのは、日本なんですね。世界中のインターネットの仲間からも「日本はうまくインターネットを活用できていて羨ましい」という声をかけてもらっています。それは非常にありがたいことだと思っています。倫理的利用がどこまで、どうして維持できているのかなど、さまざまな意見があると思います。しかし、その一方で、私は、日本のインターネットの利用者は誇りだと思っています。この状態を世界に対してどう貢献できるか、我々が良い見本を作っていくなど、良いチャンスはいくらでもあると思いますので、今後が楽しみです。

きたるべき未来のために
インターネットを広げるパイオニアたちとの絆

インターネット・アカデミーが、もっと伝えていかなければならないのは、インターネットの歴史としての村井教授、ヴィントン・サーフ氏、ティム・バーナーズ=リー氏らの生き様だと思います。村井教授にとって、ヴィントン・サーフ氏、ティム・バーナーズ=リー氏はどのような存在ですか?

それぞれ、その他の人も含めて、非常にいろんな仕事を一緒にやってきて、2人ともいろんな経験をしました。インターネットをこのようにしていきたいという話を80年代、90年代ぐらいから、ずっと一緒にやっていますからね。その当時は、まだ人がインターネットを使っていませんでしたが、「やがて、みんながインターネットを使うようになるよね」とか、「その時にどうしようか」という話をずっとしていたんです。やはり私たちには夢があって、自分たちの夢に制限を加えないという話を、ヴィントンともティムともしてきました。同じ考えを持つ2人と、その一時代をともに過ごせたのは、とても幸福だったと思います。そして今もその夢はずっと持ち続けているんですね。これから先「インターネットはこう使うだろう、こうあるべきだよね」という未来を今も描いているんです。当時、「インターネットをすべての人類が使うことはないだろう」と他のほとんどの人は思っていました。しかし、私たち3人はできると思ってました。きっとできると考えている人がどこかにいるからこそ、それが実現に向かっていくのだと思います。そういう経験を2人と一緒にすることができたのは、私にとっては非常にラッキーでした。

インターネット・アカデミーは1995年から日本初のインターネット専門スクールとして26年間、インターネット教育を提供してきました。村井教授はいつ頃、インターネット・アカデミーをお知りになりましたか?

90年代から知っていました。95年は、インターネットという言葉が流行語大賞に出たぐらいですから、普通の人がWindows95でインターネットにアクセスできるようになった年なんです。同年1月に阪神淡路大震災があったため、インターネットにアクセスできるようになったことは本当に意味がありました。その中で、インターネット・アカデミーは、非常に早い時期から、インターネット教育のアプローチをしていたことを認識していました。タイミングがとても早いですよね。だから、本当の意味でのパイオニアだと私は思っています。

その1995年当時、インターネットを広めようとした方々は同じ志を持ち、同じバスに乗り、未来に向かって進んでいたと思います。そのバスは今でも正しい道を走っていますか?今どのあたりを走っていますか?もしかしたら、他の乗り物に変わりましたか?

先ほど名前が挙がったヴィントンやティムなどもそうですが、私たちと同じように95年にこの国で、「インターネットをこのように広げていこう」、「次の世代にどうしていこう」と努力した仲間たちは、今でも非常に重要な絆を持っている仲間たちだと思います。だから今でも一緒に未来をつくり出しながら、一緒に動いて活動していけるのだと思います。

それでは、今の時代だからその志が変わるのかといえば私は変わらないと思います。なぜなら、例えば90年代のインターネットは、世界人口でいえば、たった1%の人にしか使われていませんでした。それから今は世界中の人口のほとんどすべての人が使う時代になりました。そのときに向かって一緒にやってきた我々は、そのことから派生していく全部の歴史を知っているんです。全部の歴史を知っているうえで今の問題を考えるのと、この歴史を知らないで今の問題に対応することはやはり違うと思います。それぞれの役割があるのです。新しい若い人が、「今こういう課題があるからこれに取り組もう」、「こうやって解決しよう」「こういうことをやってみよう」というのは、これも素晴らしいイノベーションだと思います。その一方で、歴史を全部知っているからこそ、この新しい問題や新しい挑戦をどういうふうに進められるかがわかるのも事実です。たった30年40年の歴史しかないことのアドバンテージは、そのパイオニアたちがまだ生きていて、あるいは一緒にバスに乗ってきた我々がまだ元気で、力を合わせられるという点にあります。新しい技術がこれだけのインパクトを持ったインターネットの世界で、いろんな力を合わせられるということは、非常に特徴的で有利なことですし、また他の分野に比べて課題に挑戦をするということに対しては、取り扱いやすくもなっています。そういう意味で、私は喜ぶべき状態だと思いますね。

インターネットで地球のことを考える
私たちは未来をどう描いていくのか

2021年9月1日にデジタル庁が創設され、村井教授は内閣官房参与として、また次の未来を創ろうとされています。デジタル人材はもちろんですが、日本においてはインターネット人材の育成も課題なのではないでしょうか?ずばり、デジタル庁の目的達成の後、インターネット庁を創られるのはいかがでしょうか?

初めからそういう議論はありました。すべてインターネットと呼ぶべきなのか、それともIT戦略と言ってましたからITやICTと呼ぶべきなのか、それからデジタルと呼ぶべきなのかという議論を確かにしていました。インターネットはいろんな意味でのデジタル社会の礎、基盤です。したがって、このことをしっかりと理解してもらわなければいけないと私は、ずっと言い続けています。役所の名前も、インターネット省やデジタル庁にするといったいろんな議論がありました。その中で私は、地球省という名前を提案していました。なぜなら、地球、人類全体のことを考えることに特化した、日本の役所はないんですよね。それで、インターネットのサイバースペースは、地球全体の空間であり、人類全体の空間を人類として初めてつくったものです。そこから派生する環境問題やコンフリクト(分断)、健康問題もあります。そのすべての問題にインパクトがあるのが、インターネットの役割だと思います。そう考えたときに、名前を地球省で良いのではないかと実は思っていたんです。ただ名前は何であれ、心はやっぱり一緒だと思います。ぜひ次の世代の日本で成長していく若い人たち、次の世代を担う人たちが、日本を良くすることを考えていくのとあわせて、日本が地球の中の一部であり、この惑星が安全で安心な場所であるということも一緒に考えてほしいと思っています。私は、これこそがインターネットで考えられる環境ができたということだと思います。それを全部あわせて、インターネットの教育だと思います。

村井教授が思い描くインターネットの世界を作るために、私たちインターネット・アカデミーができることは何でしょうか?

インターネット・アカデミーには、あらゆることをやっていただいたと思います。今はインターネットが本当にすべての人のために役立つようになってきました。だからこそ、インターネットそのものがどういう仕組みで動いてるのか、あるいはインターネット上で動いていることに対する課題を解決するとか新しいことに挑戦することが、インターネット全体の仕組みの中でどういう意味を持ってくるのか、そのような全体像を把握し続けることが大事だと思います。ぜひそれをわかっている人たちを育てる、あるいは教育に活かしてほしいと思います。

今、インターネットをブラックボックスだと思う人が増えてきています。しかし、実際にはそうではありません。だからインターネットという言葉を正しく使うことがとても大事です。なぜならデジタル社会はインターネットの基盤の上で成立しているのに、だんだんとその意識が薄れてきてしまうのは困るわけですね。インターネット・アカデミー、すなわちインターネットが持つべき意味を意識し続けることが重要だと思います。

インターネット・アカデミーの受講生の方やこれからインターネットを学ぶ方に向けて、メッセージをお願いします。

インターネットは、インターネットユーザーと言いますが、本当はインターネットの参加者だと思います。自分がインターネットあるいはインターネットのグローバルな社会面でつながっていて、その社会の中に参加をしているということは、やはり自分の問題をどう解決するか、自分の夢をどう実現するか、自分が次のインターネットがどうあるべきか、それのために何をすべきなのか考えることが大切です。非常に積極的な関与をしていくという意味で、ユーザーというよりは参加者という概念を持つべきだと私は思うのです。だから、「自分が未来を作るんだぞ」と考え、いろいろなことを学んで、自分の夢を実現する、そのためにインターネットの環境がある。こういうことを知っていただきたいなと思います。