PEOPLE 04

人間とAIの共存が
人間の可能性を広げていく

棋士・羽生善治 Yoshiharu Habu
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将棋界史上初の七冠王という大記録を打ち立て、さらに将棋界で史上初の永世七冠となり、棋士として初の国民栄誉賞を受賞される等、日本中に将棋フィーバーを巻き起こした羽生善治先生。今回は棋士としての想いや学びに対する考え方をはじめ、インターネットやAIが将棋界に与えた影響やプログラミング教育の在り方についてお話を伺いました。

PROFILE

羽生善治
1970年生まれ。1985年の15歳のときに史上3人目の中学生棋士となり、89年に初タイトルとなる竜王を獲得。94年、第52期名人戦で初の名人に。96年には当時の七大タイトルである竜王・名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖を獲得し、将棋界史上初の七冠王を達成、社会現象となる。十九世名人の永世称号、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将、永世棋聖などの資格を保持。2014年に史上4人目となる公式戦通算1300勝を史上最年少、最速、最高勝率で達成。さらに2017年には、史上初の永世七冠となり、国民栄誉賞を受賞。2022年には、前人未到の公式戦通算1500勝を達成し、更なる記録更新を続けている。

INTERVIEWER

有滝 貴広
有滝 貴広
早稲田大学理工学部卒業。インターネット・アカデミー マーケティング局室長代理。総務省が後援する「次世代Webブラウザのテキストレイアウトに関する検討会(縦書きWeb普及委員会)」の一員として国際標準化と技術の普及活動に尽力し、2020年度情報通信技術賞(総務大臣表彰)受賞。現在、総務省のBeyond 5G 新経営戦略センターの一員として参画。
Copywrite
Takahiro Aritaki
Photo
Ayumi Kaminaga

MOVIE

STORY

インターネットは現代における大きな図書館

羽生先生は将棋にとどまらず、AIやIoT、量子コンピューターなどITにもお詳しく、私たちも羽生先生の書籍で勉強させていただいております。羽生先生が初めてコンピューターと出会ったのはいつ頃でしょうか?それはどのような機種で、どのような目的で使われていらっしゃいましたか?

1990年代ですね。将棋のデータベースを利用するためにコンピューターを扱い始めました。今までは紙をコピーし、ファイルして、情報を分類していましたが、データベースができたことで非常に便利だなと思い、使うようになりました。

私たちは、日本においてインターネットが広く普及し始める事実上のインターネット元年は1995年だと考えており、その年にインターネット・アカデミーも創業しました。羽生先生がインターネットに触れたのはいつ頃でしょうか?また、初めて触れた時の印象も伺っても良いですか?

時期的には1995年ごろだと思います。インターネットに触れた最初の率直な感想は「どうしてこんなことができるのか」と、不思議に思いました。非常に便利なものなので、自然に使うようになっていきましたね。

羽生先生は将棋のことを「大海原のような世界である、将棋盤は狭いが将棋の世界はどんどん広がっていく」と表現されていらっしゃいました。時には、どんなものにも形を変えられる「粘土のようなもの」とも例えていらっしゃいました。それでは、インターネットを何かに例えるなら、どのようなものになるでしょうか?

昔であれば、例えば大きな図書館などを使って、過去の様々な知識や知恵を蓄積していったという歴史があると思います。そこからデジタルの時代になり、知識を蓄積していく方法がインターネットに置き換わったのだと私は認識しています。紙のものは、劣化してしまったり、なくなったりしてしまうことがありますが、デジタルのものは半永久的に残っていくものなので、情報を保管するアーカイブ的な要素が非常に強いものなのではないかと個人的には考えています。

進歩するというのは、無駄なことをそぎ落とすこと

羽生先生は言葉を大切にされていて、そこにも強さの秘密が隠されているのではないかと感じています。思考を言語化することと将棋の強さには何か関係があるように思うのですが、いかがでしょうか?また、もし関係があるとするならば、将棋以外の競技やビジネスの世界でも、それは共通するものと思われますでしょうか?

言語は、ルールや文法は決まっていますが、新しい言葉も出てきますし、一つの意味でもたくさんの意味があるなど、言葉の奥深さがあると思います。将棋は将棋で奥深いところがありますが、駒の役割や動き、ルールなどは基本的には変わりませんので、限定された環境の中で何をやっていくか、というところがありますね。

将棋の知識があれば、ビジネスや他のことにも応用が利くのではないかとよく聞かれますが、将棋には難しい要素があります。なぜなら将棋の場合、基本的に偶然性の要素が非常に少ないからです。意外なことや不確実、不確定なことが少ない中で行っています。それに対して、日常のさまざまな出来事は、予測しないことが起きることや、不確定な要素も多かったりすると思うので、少しアプローチが違うところはあると思います。もちろん、大まかな構想やこういうプランでいこうといったことは考えるので共通点はあると思いますが、大枠でみるとかなり違うものなのかなと考えています。

羽生先生は「将棋において筋の良い手に美しさを感じられるかどうかは、将棋の才能を見抜く重要なポイントである」と話されています。例えばプログラムの世界でも、「美しいプログラム」「エレガントなプログラム」と表現したりします。それはシンプルで無駄のないソースコードを見た時にそう感じるのですが、羽生先生の言う「美しさ」には、それに加えて新しいことに挑戦する「勇気」という人間性がプラスされているような気がします。実際はいかがでしょうか?また、AIの出現によって美しさの定義は変わっていくと思われますでしょうか?

ひとつ言えるのは、何かが上達する、上手くなる、進歩するというのは、無駄なことをそぎ落としていくという作業でもあるんですよね。これは考えなくてもいい、やらなくてもいい、ここに集中した方がいいというこだわりを持ち続けることで、ブラッシュアップされて、美しさや洗練さ、スムーズな動きができるようになっていくと私は思います。これは多分どんなジャンルに関わらず、すべて同じだと思うんですね。将棋の世界も、プログラミングの世界でも、あるいはもの作りの職人であっても、共通しているんだと思います。

2点目のAIの話でいうと、人間は、当然ながら膨大な可能性を前にして、しらみつぶしで考えられないと思うんです。しかし、人間が通常ではやらない、考えない発想を、AIから提示されるということは、もう現実として存在するわけです。それによって、人間の発想の幅が広がる、人間の美意識に変化を与える、考え方に影響を与えるなどといったようなことがこれから先起こっていくのだと思っています。ただ人間の脳は、基本的に可塑性といって柔軟性が結構高いので、AIの考えはAIの考えとして、徐々に順応、適応していく流れになるのではないかとも考えています。

将棋を見ている人の世界では、弟子が師匠に勝つことを「恩返し」だとよく表現されますが、実際は師匠の順位よりも上の順位に到達することが「恩返し」になるのだと思われます。私たちも教育の会社ですので「青は藍より出でて藍より青し」という考え方を大切にしており、それゆえにコーポレートカラーは親会社が藍色、インターネット・アカデミーは青色にしています。ビジネスでは昨今、社員教育の重要性がこれまで以上に増していますが、将棋界にもそのような潮流は来ているのでしょうか。

将棋の世界は基本的に自分で学んでいくというスタイルなので、師匠はいますが、直接的に教える機会は少ないです。ここ20年ぐらいは、インターネットや携帯、プログラムなどを使って、将棋の対局を研究したり、実践をしたりしています。他には対人で、何人かで集まり、勉強し、練習するというこの2本立てでやることが多いと思いますね。いろんな情報を得たり質の高い練習や勉強をしたりすることは、時代が上がれば上がるほど良くなっていくものなので、それに準じて、全体的なレベルを上げていくことも大切だと考えています。

ちなみに、羽生先生のこれまでの人生を色に例えると何色でしょうか?その理由も伺ってよろしいでしょうか?

あまり考えたことがなかったことですね(笑)。個人的に好きな色は青系なのですが、ただ、私のこれからの人生次第で色が決まっていくと思うので、一旦、未確定ということにしておきたいと思います。

社会全体のITスキルを上げていくことで
最先端の考えやアイディアが深く浸透していく

最近、将棋の世界で変わってきたこととして「以前は一人で考えて一人で分析して一人で研究する世界だったのが、ここ20年くらいの間に、何人かで一緒に研究することが多くなってきた」という羽生先生のお言葉を書籍で読んだことがあります。量子コンピューターの祖ともいえるニールス・ボーアが物理学における共同研究スタイルを広めたように、将棋界もまたインターネットによって研究の形が変わってきたのではないでしょうか?また、これからどう変わっていくのでしょうか?

まず将棋の世界においては、アナログの時代は1人でやっていたのが、インターネットがある今の時代は、複数人でやるようになりました。一か所に集まり将棋を指すのではなく、ネット空間上で対局し、強くなっていくのが、主流かつ大きな流れなのです。将棋の世界のネットのトレーニングは、非常に実践的です。ただひたすら実践を何百局とやっていくんです。

しかし、今のAIの方は逆に1人で向き合うんです。誰かと集まって一緒にプログラムを動かすわけではなくて、基本的に1人で勉強します。ただ、それだけだと、なかなか理解が深まらず死角のような穴が開いてしまうので、その穴を補うために、やはり人間同士で集まって議論することや、一緒に研究するということが必要になると思います。

今後、棋士が将棋に強くなるには、「将棋ソフトの強さを深いところで理解する必要があり、さらにはプログラミングの素養すら基礎体力として求められるようになる時代も遠くないかもしれない」というお話を羽生先生の書籍で学ばせていただきました。このプログラミングの素養という言葉に関して、もう少し詳しくご説明いただけないでしょうか?

将棋ソフトは、いろんな手を示してくれて点数も出してくれますが、なぜその手を選んでいるのかは喋ってくれないので、そこは考えていかなければいけないと思います。将棋を用いて考えるというアプローチもひとつの方法なんですが、プログラミングができれば、その知見から、どうしてこの手が指すようになったのかがわかるかもしれないです。

これは大きなテーマ、実験みたいなところがあると思うんです。将棋に限らないことだと思いますが、例えば、何かの問題があって、AIが答えだけ教えてくれるとしますよね。「AIからもらった答えだけで上達するのか」ということなんですよ。普通は先生やコーチ、指導者がいて、「ここはこう考えたら解けるんだよ、このやり方は駄目なんだよ」という道筋を教えてもらって、初めて理解でき、応用することができるようになると思います。ただ、もしかすると、非常に勘の良い人たちや理解力が高い人たちは、道筋を教えてくれる先生やコーチの存在がなくても、着々と前に進めるかもしれません。このような実験的なアプローチとして、今、将棋界でプログラミングが活用されているのかなと思っています。

AIの発展により、「今後、私たちは知性を再定義する必要がある」ということを羽生先生の書籍で拝見しました。私なんか、人を前向きにさせる言葉を持つ人を知性がある人だと考えてしまうのですが、やはり知性を定義することは難しいと思います。羽生先生が現在考える知性とは、どのようなものでしょうか?また、AIは将来どのように進化すると予想されますか?

いわゆる知識や常識そのものと、それを基にして、未来を予測するとか、何か物事に対処するといった総合的なものが知性だと私は考えています。AIの出現は、今まで存在しなかった人間と比較する知性が出てきたということだと思います。ただ、テクノロジーは、もちろん人間の能力を伸ばす側面がある一方で、人間が楽をする、面倒くさいことや大変なことを代替してもらうという側面もかなり強いと思います。つまり、すべてAIで代替できるのであれば、人間が大変な作業などに時間と労力を費やす必要があるのかということにもなります。これから先も人間の知性をずっと伸ばしていくという方向性で進んでいくのかは、まだ少しわからないところもあるのかなと思っています。

「何かを覚えるということ自体が勉強になるというのではなくて、それを覚えて理解して完全にマスターするというプロセスが一番大事である」と羽生先生の書籍で学ばせていただきました。それが知識を知恵として吸収するということでしょうか? また、例えば、人がプログラミングやAIなどの知識を知恵として自分のものにするためには何を大事にしたらよろしいでしょうか?

非常に難しいテーマですね。何をもって理解したのか、その定義そのものが難しく、どうやればいいのかもよくわからないところもありますよね。だから、基本的にはまずある程度の量をこなすことが、絶対的な要素だと思います。何を理解するにしても、どんなに理解力が早い人でも、まず量をこなして、その後に、いかに一つひとつの質を上げていくのかによって、理解が深まることになるのかなと思っています。

インターネット・アカデミーは1995年から日本初のインターネット専門スクールとして27年間、インターネット教育を提供してきました。教育で人々を繋げ、誰でも平等に学ぶ機会が得られる社会を作ろうと思っています。弊社のようなインターネットスキル、例えばAIやIoTに関わる技術者を育成するスクールに対し、羽生先生が期待されていることは何かございますか?

特に若い人に多いと思いますが、「これは、流行る」、「これは、これから先もう流行らない」といった先見的な要素は、やはり最先端に立っている人たちにしか見えないものですよね。それを磨き続けていくことは、非常に大事なことだと思っています。そして当たり前ですが、先進的な考えやアイディアができたとしても、サポートしてくれる人、理解者や受け入れる人たちがいないと、社会の中には浸透していきませんよね。だからそこは社会全体として情報やスキルを上げていくことが、世の中に深く、広く浸透していくためには必要不可欠なことだと思っています。

インターネット・アカデミーの受講生の方やこれからインターネットを学ぶ方に向けて、メッセージをお願いします。

これから先も、インターネットに関わる知見やスキルは必要不可欠です。時間をかけてゆっくりと自分のものとして吸収していくということが何よりも大切なことだと思いますので、ぜひ頑張っていってください。